2019年11月8日金曜日

上原ひろみ(Hiromi)コンサート


先週の水曜日(10月30日)は、妻と二人で上原ひろみのソロ・コンサートに行って来ました。会場は、コンツエルトハウス・モーツアルト・ザール。主に最新のソロアルバム「Spectrum」からの曲が中心のプログラムでした。

アメリカにいた頃、僕のジャズの師匠であった退役軍人のボブが、『…日本人のジャズピアニストのHiromiを聴いたことがあるか? オスカー・ピーターソン以来の超絶技巧ジャズピアニストだよ、兎に角、ライブがすごいんだ…』といって教えてくれてくれたのが十数年前。ずっと観たいと思っていたHiromiのライブ、やっと叶いました。ちなみに、ボブは妻の従姉のご主人でセミプロでドラムとサックスを演奏していたジャズ・ミュージシャンでもあります。

彼女の演奏はAmazing!の一言。音楽性もテクニックも文句なしに最高なのですが特にすごいのは彼女の観客を音楽に惹きこむカリスマ。これは確かにライブでないとわかりません。今までウィーンで行ったコンサートのすべての中で最も観客の喝采が盛大であったような気がします。

最初から最後まで、にこやかな表情で全力を注ぐHiromiの演奏に感化され高揚した気分で、妻と二人、自宅に戻りましたが、そこで知ったのが首里城の火災。信じがたく、悲痛な思いで二人ともなかなか寝付けませんでした。

2019年11月1日金曜日

首里城焼失

一昨日の夜、コンサートから家に戻ってきてNHK World-Japanの速報で火事のことを知りました。信じがたい悲しい出来事でした。

僕が首里で育っていた頃は、首里城は城址の面影なんてまったく無い、父の勤め先の琉球大学がある場所でした。母が子供の頃よく遊んだという正殿は実家から数百メートルの場所にあるはずの建物なのに写真か博物館の模型でしか見ることのできない、自分にとっては戦争で失われたもの象徴であり、行ってみたかったという憧れでもありました。それだけに首里城が復元されたというニュースは海外で生活している自分にとっても、とても誇らしく嬉しいことでした。

首里城の丘のふもとに今もある僕が通っていた小学校では、1972年に祖国復帰するまで『…君たちは日本人なのだから、休日には必ず日本の国旗をあげるように…』(注)と教わり、時折、教室で『君が代』を歌っていたということが自分のアイデンティティー形成に大きな影響を及ぼしたと思っています。今考えると、ある意味で当時の琉球大学は琉球列島米国民政府(USCAR)が建てた米軍統治時代の象徴、第二次世界大戦で失われた首里城は明治維新後大日本帝国に統合された琉球王国の歴史の象徴、そして復元された首里城は民主化された日本国が建てた沖縄祖国復帰の象徴であったと思います。

物心ついた頃から、首里城は沖縄のおじいちゃんとおばあちゃんの家の屋上から見えるものだと思って育った娘たちにとっては自分以上にショックだったようです。

新聞の記事(こちら)によると、首里城にはスプリンクラーが設置されていなかったとのこと。どのような理由で設置されなかったかは知りませんが、『もし設置されていたのであれば』と、悔しい気持ちでいっぱいです。

別の記事(こちら)では、1500点以上の絵画、漆器、史料などの収蔵品うち400点以上が焼失、残りの品も確認できない状態であるということ。完全に永久に失われた琉球王国の文化の遺産に気持ちのやり場がありません。

(注)米軍統治下時代の沖縄では公休日のみ日本国旗の掲揚が許されていたということをだいぶ後で知りました。