話は前後するが、先週、ウィーン医学大学付属ジョセフィーヌム博物館のツアーに参加。
ここにはもともと18世紀終わりに出来た、現代の医学教育の原型になったとも言われる医療教育機関がその前身。 医学生でアルバイトのガイドさんの話だと当時のオーストリアの医療従事者は、大学を出たけど臨床実務経験の無い内科医と、大学を出ていないけどマ徒弟制度で訓練を受けた実務経験豊富な外科医に分かれており、当時の皇帝ヨーゼフ二世はこの2つの異なる医療教育・訓練制度を統合した新しい教育機関の創る構想を立ち上げたが当時の大学教授たちの大反発にあい、結局は自らの指揮下にあった軍隊の軍病院を新たに創って、その付属機関としてスタートしたとの事。何時の時代も既得権を持つ保守的な人たちは新たな試みに反発するのだな、相手が皇帝であっても、というところが面白いエピソードであった。
当時新しく作られたこの教育機関はk. k. medizinisch-chirurgische Militärakademie となずけられたが一般的にはJosephsakademieと呼ばれていたらしい。ここでは、ラテン語では無くドイツ語で教える、選ばれて入ってきた学生は授業料がもちろん無料でさらに生活費も給付されてたとの事。当時としては革新的な教育機関であったそうだ。
この博物館は、医療関係の歴史的書物や医療機器所を蔵物としているが特筆すべきが1200個近い蝋の解剖学用モデル。個々の臓器から等身大の全身人体モデル (5~6体)まで。医療教育のために皇帝ヨーゼフ二世がフィレンツェの工房に発注、ウィーンに搬入したもの。電気の無い時代には当然ながら冷蔵施設もなく、冬期以外はこのような蝋のモデルは当時としては画期的に重要な教材で医療教育の進歩に大いに貢献したとのこと。もともとはボローニャで作られ始められたものが、フィレンツェに渡り、さらにイギリスにも伝わったとのこと。尚、蝋人形で有名なマダム・タッソーはもともとこのような蝋細工で修行してとのことです。 暑いと溶け、寒いと硬くなってもろくなる蝋の解剖モデルを鉄道も無い時代に、アルプスを越えてウィーンに運ぶのは大変な偉業であったらしい。これも当時のオーストリア帝国の繁栄がいかにすごかったからを表す一エピソードである。
ちょうど啓蒙主義が台頭した当時、自然科学の研究が進み、人体の仕組みを明らかにしようとする試みも多く探究され、その結果としてこのようなモデルが作られていったとのこと。蝋モデルを作る職人は、解剖学者の解剖に立ち会い、石膏で臓器等の方を取りモデルを作っていたようである。上の写真ように如何にも教育教材といったものから、下の写真の様に芸術の域に達したかと思われる物まで数多く展示されている。
Josephinumの公式サイト(http://www.josephinum.ac.at/)より引用 |
代表的な啓蒙専制君主の一人とされる皇帝ヨーゼフ二世は、ここが設立された当時からこれらモデルを一般公開していたとのことである。
このような蝋の解剖モデルはフィレンツェ大学付属ラ・スコペラ自然史博物館とボローニャ大学人体解剖博物館でも展示されている様である。
ウィーン医学大学付属ジョセフィーヌム博物館のHPはこちら。:http://www.josephinum.ac.at/?L=1
一般開館日は毎週金曜と土曜日、10時~18時。入場料は4ユーロ。場所も旧市街から程近い場所なのでウィーンを訪れるさいには立ち寄られることをお薦めする。
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