5月17日金曜日は妻と2人でMidori(五嶋みどり)のリサイタルを観てきました。プログラムはバッハ無伴奏、会場はEhrbar-Saal。このリサイタルは Midoriのバッハ・プロジェクト、ヨーロッパツアーの一環でウィーンはその最終地。5月16日と17日の2回のリサイタルでバッハ無伴奏の全曲を演奏するというもの。16日がソナタ一番、三番とパルティータ二番。17日がソナタ二番とパルティータ一番、三番でした。本当は二日続けて行く予定でしたが、今週始めにお腹にくるひどい風邪をひいて、ホームドクターの指示で病院で点滴を受けないといけない羽目になってしまったので第一日目は自宅養生。楽しみにしていたのにトホホです。
今コンサートシーズンはMidoriの30回目のシーズンだそうで、デビュー当時から彼女の活躍を知る我々の世代にとっては感慨深いものがあります。87年からアメリカで生活していた我々も機会があるごとに彼女のコンサートには行っていたので彼女の存在が身近に感じられるような気もしています。とても精力的に活動されているようで今回のツアーも6日間で5都市を回るハードスケジュール。ウィーンではさらに17日の午前9時から3時間のマスター・クラスがあり、バイオリンを習っている次女は学校を休んで妻と見学に行ってきました。
バッハのバイオリン無伴奏ソナタとパルティータは演奏者による解釈/表現の違いが特により顕著に出てくる曲でそれが面白くて一時期色々とレコーディングを聴き漁ったことがありました。アメリカにいた頃は著名なバイオリニストがこの曲をコンサートで演奏すると言うプログラムはほとんどなかったのですが、ウィーンではすでに何度かその機会にも恵まれました。それでも今回のMidoriの演奏は今まで聴いたどの演奏ともはっきりとした違いがあり、この曲を初めて聴いたような気にさせられました。粛然として求道的、楽章ごとのテンポの違いが大きく、ストイックでもあり邪念を排した心の静けさを感じさせるようでもある演奏でした。良い意味でとても独創的でバッハを通してMidoriの世界が展開されていたような印象を受けました。
単なる音楽愛好家の一人である僕がウィーンに来てから多くの音楽家の方々を接する機会がありそういう中で得た印象なのですが、バッハを始め多くのバロックから古典派にかけての音楽には多くの場合それぞれの楽章に舞曲の名前が付いています。従って、ヨーロッパの音楽教育者の多くと演奏家達はそれらの曲が踊るための音楽であるという前提でそこから個々の解釈/表現を発展させて行くことが多いようです。これがよくヨーロッパの伝統・文化を知らずして西洋クラシック音楽が演奏できるか?という風にいわれる由縁のようでもあります。ところが同じ西洋でもアメリカで育った音楽家たちにはそのようなしがらみのようなものがなくより自由奔放に自己解釈や表現を追求する人達が多くてMidoriもその典型であるような気がします。そうやって考えてみると僕が持っているCDの殆どはヨーロッパの演奏家達のものでありそれらを聴くことに培われて来たバッハのバイオリン無伴奏ソナタとパルティータのイメージと今回聴いた演奏が大きく異なっていたと言うことが説明出来るような気がしました。そうはいってもどちらが良いとかどちらが正しいということは議論としては面白いかもしれませんが音楽を聴く愛好家の観点からすればあまり関係の無いことで、僕も自分の心に感ずると事がある演奏が自分にとっての良い演奏だと思っています。
コンサート会場にはこちらで知り合いになったウィーン子の音楽者、演奏家の方々もお見かけしたので今度それらの方々にお会いした際にMidoriの演奏をどう感じかられたお伺いするのが楽しみです。
Midoriの公式サイト:
http://www.gotomidori.com/
僕の好きなMidoriのCD どれもお薦めです: