先日の続き...
沖縄の日本復帰が近づいたのでその準備ということもあったのか、1970年に大阪万博見物の家族旅行の際の書類は、日本政府総理府発行の『身分証明書』。内閣総理大臣印が押されている。
『...日本人〇〇は、本土に渡航することを証明する...』と琉球住民から日本人へと記載が変更されている。 『本邦』との印刷が、手書きで『本土』訂正されている。家族全員の証明書が同じように訂正されているので多分印刷ミス(?)だったのかと思われるが、あとで決定が変更された可能性もある。 写真は、当時小学校2年生だった
自分です。
琉球列島米国民政府 高等弁務官のスタンプも押されている。この辺りは、当時の返還準備手続き上の官僚的な妥協点であったのでしょうか。
1971〜72年の間、父の仕事でイギリスに家族で一年滞在した際、出発が日本復帰の前で、帰国予定が復帰後であったことから日本国旅券が発給された。上は、そのパスポートにあった文面の一部。 沖縄と本邦と特に明記され、沖縄へは入/出域、本邦へは入/出国と区別されている点が面白いと思った。これも当時の暫定的な取り決めがあったのであろうと思われる。
一緒に書類整理をしていた母の話では、日本国パスポートを取得するようにアドバイスしたのが、日本の役所でも、琉球民政府の役所でもなく、イギリス大使館だったとのことで、母にとってはそれがとても印象に残っているようだった。
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