2015年3月9日月曜日

映画の週末:「Back to the Future」30周年記念上映会 と「Selma」

引用/Source: http://www.gartenbaukino.at 
先週末は映画を2本見てきました。まず3月6日金曜日の夜に家族3人でウィーンの旧市街にあるGartenbaukinoという映画館で行われた「Back to the Future」30周年記念上映会。この映画館、ウィーンで唯一マルチプレックス化されていない映画館。巨大なスクリーンのある736座席の上映ホールが一つだけ。下の写真の1960年に出来たほぼそのまんまの状態が保たれています。当然ながら映像・音響機器はアップデートされてお画像も音質も文句なし。
引用/Source: http://www.gartenbaukino.at 
この晩一回限りの上映と言うこともあってほぼ満席。ノスタルジーでわれわれと同世代がおおいかなと思いきや、ほとんどが十代後半から二十代前半ぐらいの若い人たち。上映中に歓声が上がったり、拍手があったりと大変な盛り上がりでこちらまで楽しく盛り上がりました。ちなみに僕は、この映画を封切りされた時に、当時ガールフレンドだった今の妻とのデートで出来たばかりの有楽町マリオンで観ました。まさに痛快活劇と言う言葉がぴったりのこの映画、今観てもその面白さは色褪せず、次女もとても面白かったと喜んでいました。やはり映画は大きなスクリーンで観るのが楽しいですね。

翌日の土曜日(3月7日)には、次女の誕生日パーティーで友達を呼ぶから、ちょっと出かけていてねーとの事で僕と妻はアメリカ人の友人を誘って、「Selma」(セルマ)を観てきました。奇しくもこの日は、この映画の中心となった1965年血の日曜日事件50周年にあたる日でした。アメリカ公民権運動を主題とする映画・テレビ番組は数多く作られていますが、それでもとても観る人にとても大きなインパクトを与えるストーリーで映画としてもとても良く作られている映画だと思いました。映画の後は、南部で生まれ育った友人とアメリカの人種問題について食事をしながら語り合いました。アメリカでは未だ、警官が黒人を射殺・負傷させる事件が多く起きていますがこのような人種問題はアメリカ深く根付いたある意味では負の文化の一要素だと思います。「Selma」の日本公開は今年の6月頃になるようですので是非ご覧になられることをオススします。

公式予告編です:




2015年3月7日土曜日

アウトドア カフェ

3月になってウィーンは日もだいぶ長くなってきて、寒さも和らいでいます。先日の朝の出勤途中に旧市街の目抜き通りであるグラーベンでは、カフェの屋外スペースの設置が行われていました。結構大掛かり。


寒さが和らいだとはいえ、最高気温が7〜8度、最低は零度前後ですので、日が暮れたら寒い。でも帰宅時には長くて暗い冬の間外に出れるのを待ち構えていたかのように暖かい外套に身をくるんだ人々で賑わっていました。ウィーンに来た当初は寒いのによくやるな~と思ったのですが、数年もいると彼らの気持ちが良く判るようになったような気がします。




前の関連ブログの記事もご参照あれ:
http://isakusphere.blogspot.co.at/2013/03/cafe.html

2015年3月5日木曜日

ウィーン医学大学付属ジョセフィーヌム博物館/JosephinumーCollections of the Medical University of Vienna



話は前後するが、先週、ウィーン医学大学付属ジョセフィーヌム博物館のツアーに参加。

ここにはもともと18世紀終わりに出来た、現代の医学教育の原型になったとも言われる医療教育機関がその前身。 医学生でアルバイトのガイドさんの話だと当時のオーストリアの医療従事者は、大学を出たけど臨床実務経験の無い内科医と、大学を出ていないけどマ徒弟制度で訓練を受けた実務経験豊富な外科医に分かれており、当時の皇帝ヨーゼフ二世はこの2つの異なる医療教育・訓練制度を統合した新しい教育機関の創る構想を立ち上げたが当時の大学教授たちの大反発にあい、結局は自らの指揮下にあった軍隊の軍病院を新たに創って、その付属機関としてスタートしたとの事。何時の時代も既得権を持つ保守的な人たちは新たな試みに反発するのだな、相手が皇帝であっても、というところが面白いエピソードであった。

当時新しく作られたこの教育機関はk. k. medizinisch-chirurgische Militärakademie となずけられたが一般的にはJosephsakademieと呼ばれていたらしい。ここでは、ラテン語では無くドイツ語で教える、選ばれて入ってきた学生は授業料がもちろん無料でさらに生活費も給付されてたとの事。当時としては革新的な教育機関であったそうだ。 

この博物館は、医療関係の歴史的書物や医療機器所を蔵物としているが特筆すべきが1200個近い蝋の解剖学用モデル。個々の臓器から等身大の全身人体モデル (5~6体)まで。医療教育のために皇帝ヨーゼフ二世がフィレンツェの工房に発注、ウィーンに搬入したもの。電気の無い時代には当然ながら冷蔵施設もなく、冬期以外はこのような蝋のモデルは当時としては画期的に重要な教材で医療教育の進歩に大いに貢献したとのこと。もともとはボローニャで作られ始められたものが、フィレンツェに渡り、さらにイギリスにも伝わったとのこと。尚、蝋人形で有名なマダム・タッソーはもともとこのような蝋細工で修行してとのことです。 暑いと溶け、寒いと硬くなってもろくなる蝋の解剖モデルを鉄道も無い時代に、アルプスを越えてウィーンに運ぶのは大変な偉業であったらしい。これも当時のオーストリア帝国の繁栄がいかにすごかったからを表す一エピソードである。

ちょうど啓蒙主義が台頭した当時、自然科学の研究が進み、人体の仕組みを明らかにしようとする試みも多く探究され、その結果としてこのようなモデルが作られていったとのこと。蝋モデルを作る職人は、解剖学者の解剖に立ち会い、石膏で臓器等の方を取りモデルを作っていたようである。上の写真ように如何にも教育教材といったものから、下の写真の様に芸術の域に達したかと思われる物まで数多く展示されている。

Josephinumの公式サイト(http://www.josephinum.ac.at/)より引用

代表的な啓蒙専制君主の一人とされる皇帝ヨーゼフ二世は、ここが設立された当時からこれらモデルを一般公開していたとのことである。

このような蝋の解剖モデルはフィレンツェ大学付属ラ・スコペラ自然史博物館ボローニャ大学人体解剖博物館でも展示されている様である。

ウィーン医学大学付属ジョセフィーヌム博物館のHPはこちら。:http://www.josephinum.ac.at/?L=1

一般開館日は毎週金曜と土曜日、10時~18時。入場料は4ユーロ。場所も旧市街から程近い場所なのでウィーンを訪れるさいには立ち寄られることをお薦めする。



2015年3月3日火曜日

Niederalplでスノーシューイング



一昨日(3月1日 日曜日)に友人達に誘われて、妻とスノーシューイングに行ってきました。場所はNiederalplと言うアルプス山脈の東端の地域でウィーンから南西に車で約1時間45分ぐらいのところ。一番高い場所の標高は1600mぐらいの山・高原です。前にブログに書いたラクス高原(こちら→http://isakusphere.blogspot.co.at/2012/06/blog-post.html)の近く。

スノーシューイングは現代版西洋かんじきを履いての雪山ハイキング。妻は2度目で僕は初めて! 8人のグループで山岳ガイドさんを雇ってのツアー。最初に標高差500mほどののぼりががあってキツかったのですが、その後は挽回し楽しめました。降雪後に人が踏み入れた跡が無い高原を歩くのは気持ちよかったです。風もなく、気温もそんなに低くなかったのもよかったです。休息入れて、7時間あまりの大自然の中でのお散歩でした。