2019年11月30日土曜日

コンサート: イヴァン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管弦楽団 +アンドラーシュ・シフ


今週の火曜日(11月26日)は、イヴァン・フィッシャー(Iván Fischer)指揮ブダペスト祝祭管弦楽団(Budapest Festival Orchestra)のコンサートに行ってきました。会場は楽友協会大ホール、ピアノのソリストは、サー・アンドラーシュ・シフ(Sir András Schiff)。 妻が急に一時帰国することになり、音楽好きの同僚にチケットを引き取ってもらい一緒にいってきました。プログラムは以下の通り:

Antonín Dvořák:
legend, op. 59/5
Lullaby. Chorlied, op. 29/2 (オーケストラのメンバーによる合唱)
Slavonic Dance for Orchestra A flat major, op. 72/8

Ludwig van Beethoven: Concerto for Piano and Orchestra No 5 E flat major, op. 73

Antonín Dvořák: Symphony No. 8 in G major, op. 88

ピアノのアンコールは Ludwig van Beethoven:Sonata for Piano F major, op. 10/2(No.6) - 1st movement

去年の同じ頃にあったコンサート(こちら)の延長線にあるプログラムでしたが、今回はベートーベンのピアノ協奏曲5番とドボルザークの交響曲8番という有名曲。前回に勝るとも劣らぬ演奏でした。

とくにピアノが主役で前に出てくる協奏曲5番でのシフは最高。それ以上に僕は後半のドボルザークの8番にとても感激。これ以上の演奏はできるのか?と思うぐらい凄かったです。

最近はよく、シフのレコーディングを聞いているのですが、特にベートーベンやシューベルトの新しいECMのレコーディングが大好きです。今、一番好きなピアニストかもしれません。

ちなみに、僕は 以下のラファエル・クーベリックとベルリン・フィルのCDを9番が目当てで買っ他のですが、8番の方に魅力を感じ、この盤ではそっちの方がばかり聴いていました。



2019年11月26日火曜日

Rickie Lee Jones (リッキー・リー・ジョーンズ)コンサート




アムステルダムから戻った翌日の11月19日 火曜日は、妻と Porgy and Bessリッキー・リー・ジョーンズのコンサートを観てきました。バックのメンバーは以下の通り:

Rob Mangano: guitars, keyboards, vocals

Cliff Hines: guitars, vocals

Mike Dillon: percussion, drums



僕がJonesを良く聴いていたのは80年代半ばから90年代前半の間。このコンサートの告示を観たときには、まだツアーをしているのかと思い、イメージが壊れるのがいやで、チケットを買うのをちょっと躊躇もしましたが、杞憂でした。 独特のボーカル・スタイルも超えの音域も健在、プログラムの過去のアルバムからの有名曲が7~8割程度、残りが最近のアルバムから。昔良く聴いた好きなアルバムの収録曲が即興性を加えながらも曲の多くがオリジナルのイメージを崩さずにライブで聴けたのは嬉しかったです。

Jonesを含むメンバーすべてが、マルチ・イントラメンタリストでサウンド、アンサンブルもバッチリでした。 行けて良かったです。




2019年11月24日日曜日

アムステルダムへの小旅行


Eastern Docklands, Amsterdam
長女の様子見に、休暇を二日頂いて11月15日(金)~18日(月)の間、妻とアムステルダムに行ってきました。久しぶりに3人で美味しいものを食べて、美術館に行き、大学時代の友人と30数年ぶりの再会と楽しいひと時を過ごせました。

ディエゴ・ベラスケス(左)とレンブラントの自画像

アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum Amsterdam ライクスムゼーウム)では、『レンブラントとベラスケス』という特別展があり、この二人だけではなく、同じく17世紀活躍したオランダとスペインの画家の作品を関連・対比性でくぐりペアにして展示する企画で、それなりに面白かったです。最近のヨーロッパの美術館では,若い人の美術館離れに対応するべく、美術史のみの観点から離れてより一般の人がわかりやすい企画が増えている傾向のようです。

ここ以外に写真美術館「Foam」に行って、ブラッサイの特別展を見てきました。


デザイン大学を卒業後、自らの生きる道を模索し、それなりに悩んで苦労しているであろうて長女のことを考えると、親としては心配も大きいのですが、ささやかに経済的な援助する以外できることも無く、歯がゆい無力感にとらわれ、とても気が重くなりましたが、遠くからしっかりと見守る以外ないと自分を説得しようとしています。

2019年11月22日金曜日

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(Münchner Philharmoniker )コンサート


今週のウィーンは雨模様の日もありましたが概ね良好、気温も日中11度前後の穏やかな日々が続いています。色々とあって、書きたいことは多いのですが、更新が滞りましたのでキャッチ・アップを急ぎます。

先週の水曜日(11月13日)は妻と共に楽友協会大ホールでValery Gergiev(ヴァレリー・ゲルギエフ)指揮 Münchner Philharmoniker(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団)のコンサートに行ってきました。ソリストは、Janine Jansen (ジャニーヌ・ヤンセン)、プログラムは以下の通り:

Jörg Widmann:Con brio. Konzertouvertüre für Orchester
Max Bruch:Konzert für Violine und Orchester g-Moll, op. 26
Jean Sibelius:Symphonie Nr. 1 e-Moll, op. 39

ヤンセンのアンコールは:
Johann Sebastian Bach:Partita für Violine solo Nr. 2 d-Moll, BWV 1004 - Chaconne

とても満足行くコンサートでしたが、今回感じたのはヤンセンが控えめながらとても個性的な演奏をするバイオリニストであるということでした。ブルッフのバイオリン協奏曲はとても好きな曲で、一時期はまって、色んなレコーディングの聞き比べをしたことがあるので、ヤンセンの個性的なところがよく理解できました。後半のシベリウスも良かったですが、ゲルギエフは今年始めに聞いたチャイコフスキー交響曲全曲演奏ミニ・シリーズ・コンサート(こちら)のインパクトが強すぎて、期待しすぎであったかなとの印象でした。


2019年11月8日金曜日

上原ひろみ(Hiromi)コンサート


先週の水曜日(10月30日)は、妻と二人で上原ひろみのソロ・コンサートに行って来ました。会場は、コンツエルトハウス・モーツアルト・ザール。主に最新のソロアルバム「Spectrum」からの曲が中心のプログラムでした。

アメリカにいた頃、僕のジャズの師匠であった退役軍人のボブが、『…日本人のジャズピアニストのHiromiを聴いたことがあるか? オスカー・ピーターソン以来の超絶技巧ジャズピアニストだよ、兎に角、ライブがすごいんだ…』といって教えてくれてくれたのが十数年前。ずっと観たいと思っていたHiromiのライブ、やっと叶いました。ちなみに、ボブは妻の従姉のご主人でセミプロでドラムとサックスを演奏していたジャズ・ミュージシャンでもあります。

彼女の演奏はAmazing!の一言。音楽性もテクニックも文句なしに最高なのですが特にすごいのは彼女の観客を音楽に惹きこむカリスマ。これは確かにライブでないとわかりません。今までウィーンで行ったコンサートのすべての中で最も観客の喝采が盛大であったような気がします。

最初から最後まで、にこやかな表情で全力を注ぐHiromiの演奏に感化され高揚した気分で、妻と二人、自宅に戻りましたが、そこで知ったのが首里城の火災。信じがたく、悲痛な思いで二人ともなかなか寝付けませんでした。

2019年11月1日金曜日

首里城焼失

一昨日の夜、コンサートから家に戻ってきてNHK World-Japanの速報で火事のことを知りました。信じがたい悲しい出来事でした。

僕が首里で育っていた頃は、首里城は城址の面影なんてまったく無い、父の勤め先の琉球大学がある場所でした。母が子供の頃よく遊んだという正殿は実家から数百メートルの場所にあるはずの建物なのに写真か博物館の模型でしか見ることのできない、自分にとっては戦争で失われたもの象徴であり、行ってみたかったという憧れでもありました。それだけに首里城が復元されたというニュースは海外で生活している自分にとっても、とても誇らしく嬉しいことでした。

首里城の丘のふもとに今もある僕が通っていた小学校では、1972年に祖国復帰するまで『…君たちは日本人なのだから、休日には必ず日本の国旗をあげるように…』(注)と教わり、時折、教室で『君が代』を歌っていたということが自分のアイデンティティー形成に大きな影響を及ぼしたと思っています。今考えると、ある意味で当時の琉球大学は琉球列島米国民政府(USCAR)が建てた米軍統治時代の象徴、第二次世界大戦で失われた首里城は明治維新後大日本帝国に統合された琉球王国の歴史の象徴、そして復元された首里城は民主化された日本国が建てた沖縄祖国復帰の象徴であったと思います。

物心ついた頃から、首里城は沖縄のおじいちゃんとおばあちゃんの家の屋上から見えるものだと思って育った娘たちにとっては自分以上にショックだったようです。

新聞の記事(こちら)によると、首里城にはスプリンクラーが設置されていなかったとのこと。どのような理由で設置されなかったかは知りませんが、『もし設置されていたのであれば』と、悔しい気持ちでいっぱいです。

別の記事(こちら)では、1500点以上の絵画、漆器、史料などの収蔵品うち400点以上が焼失、残りの品も確認できない状態であるということ。完全に永久に失われた琉球王国の文化の遺産に気持ちのやり場がありません。

(注)米軍統治下時代の沖縄では公休日のみ日本国旗の掲揚が許されていたということをだいぶ後で知りました。